「あの人は天才だから」
そう口にした瞬間、私たちは何かを諦めています。
天才と呼ばれる人は、確かに存在します。同じ時間を過ごしているはずなのに、気づけば結果がまるで違う。そういう人を、私も何人も見てきました。だから、自分にはそれがないのだと、どこかで納得してきたのです。
先日、『天才になれなかった全ての人へ』という本を読みました。そこに書かれていた才能の捉え方が、私がずっと信じてきたものを、静かにひっくり返していきました。
その本は、天才を「状態」だと定義します。自分が持っている能力を、100パーセント発揮できている状態のこと。生まれつきの特別な何かではなく、いま自分がどういう状態にあるか、という話なのだと。
この定義に立つと、景色が変わります。天才は、なるものではなく、入るもの。ならば、自分だって天才になれる。問題は、自分が輝ける道を見つけられるかどうかだけです。そして才能とは、他人と比べて見つかるものではなく、自問自答の果てにたどり着くものなのだと、その本は教えてくれました。
思えば、特別な人をベースにした才能論は、いつも私たちから何かを奪ってきました。
「才能がないから」
「努力できるのも才能だ」
こうして「才能」という言葉は、いつのまにか諦めの言葉に変わってしまう。私自身、何度この言葉を、逃げ道として使ってきたことでしょう。
けれど、天賦の才に恵まれなかった私だからこそ、断言できることがあります。
この仕事に出会って、私は生まれて初めて、自分が天才になることに夢中になれました。誰かと比べるためではなく、自分の持っているものを一滴残らず出し切るために。そういう状態に、確かに入れた瞬間があったのです。
最後に、私の背中を押した言葉を紹介させてください。
君たちの時間は、限られています。
スティーブ・ジョブズ
だから、他人の人生を生きて、
時間を浪費しないでください。
では、自分が100パーセントを発揮できる状態には、どうすれば入れるのか。
その話は、次回に。
株式会社LVUP東京支社 五十嵐 涼
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